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その1:日本からアルゼンチン経由でウルグアイへ | ||
その2:パラグアイはトリニダー遺跡とアスンシオン | ||
その3:ブラジル入りしてパンタナール湿原 | ||
その4:ボニートで2泊 | ||
その5:リオ・デ・ジャネイロとサン・パウロ | ||
その6:その他の写真1 | ||
その7:その他の写真2 | ||
パラグアイ名物のチーズパン「チパ」はフランス人に言わせると「あんなものパンではない」という事ですが、とても美味しいです。パラグアイのトリニダー遺跡はなかなか良かったです。首都アスンシオンはのんびりとした街でゆっくり過ごすのも良いかもしれません。 |
5日目 (4月27日) 朝2時半頃パスポートが返される。国境を通過したのだろうか?ウルグアイとパラグアイの間には1時間の時差があるため、6時にアスンシオン到着。そのまま7時発のバスでトリニダー観光への拠点となるエンカルナシオンへ行く事にする。エンカルナシオンまでバスで6時間。パスポートを見るとエンカルナシオンで入国した事になっているので、夜中に来た道を戻っているという事。かなりアホらしい事をしているわけだが、午前2時半に知らない町で下車するのも嫌なのでしょうがないと言えばしょうがない。エンカルナシオンには13時到着。Gs.1万でシャワー・トイレ付きの宿を見つけて荷物を置いた後、バスでトリニダーへ。ここはミッションの遺跡なのだが、私はミッションについてはほとんど何も知らない。ただ、どうやらその昔この辺りに住んでいたグアラニー族を宣教したときの拠点だったという事らしい。遺跡は保存状態も良くかなり見事。2時間ほど遺跡を見た後エンカルナシオンの町に戻り、サンドイッチとビールの夕食を食べて寝る。 |
6日目 (4月28日) 朝9時発のバスでアスンシオンに戻る。途中、バスが故障して止まってしまうが運転手の頑張りによって復旧、無事走り出す。一時は煙が出ていたのにたいしたものだ。日曜のアスンシオンは街に全く人影が無く、まるでゴーストタウン。日曜の中南米は店は閉まっているものの広場などには人が出ているものだが、それもなし。人々はいったいどこに行ってしまったのだろうか?ちょっと良い所に宿泊を決め、とりあえずネットカフェへ。そこでベネズエラから南米をぐるっと周わっているみゆきさんと知り合う。ネットカフェを出て彼女とアスンシオン市内を散歩。大統領官邸前に停泊している巡洋艦の上で夕焼けを見ながらいろいろ話す。彼女はアフリカと南極大陸以外はほとんどの国に行ってるようで、話していて楽しい。夜は彼女が泊まっている宿へ行き、フランス人のアーノルドを交えて3人で飲み。アーノルドが持っていたパンとハム、野菜をつまみにPilsenビールを4L。ヨーロッパ人旅行者はたいていバックパックの中に食料を持っているからこういうときにありがたい。みゆきさんは今日の夜行でシウダー・デル・エステへ向かって出発。その前に宿のおばさんと話すとかで早めにおいとまする。 |
7日目 (4月29日) 今日は夜明け前から土砂降りの雷雨。全く止む気配がない。雨に濡れながらまずはブラジル領事館へ。こちらはウルグアイのときと違ってブラジルを出るチケットの提示などは求められない。近くのブラジル銀行でGs.26000(約US$65)を支払い手続きを済ませる。本当は発行は翌日になるのだが「どうしても今日欲しい」と言うと「じゃぁ、13時に」と即日発行してくれる。その後、バスターミナルへ行ってCampo Grandeまでのチケットを買おうとするが、パスポートがないと駄目と言われてすごすごと市内に引き返す。13時発行と言われたビザは14時ちょっと前にようやくできあがり。領事館で1時間ほど待たされてしまうが、無理を言って今日発行してもらっているのでこれは仕方ない。ビザをゲットした後、再びバスターミナルへ。しかし、今度は何故か国境の町Pedro Juan Caballeroまでのチケットしか売れないと言われる。しょうがないのでPedro Juan Caballeroまでのチケットを買って市内に戻る。バスで片道Gs.1200とはいえ、これだけ行き来するとそれなりに出費がかさんでしまう。この頃になるとようやく雨もあがり晴れてきたので市内観光。英雄広場の霊廟やピンク色の国会議事堂、カテドラルなどを見てまわったあとは英雄広場を中心にフラフラと散歩。Pedro Juan Caballeroへのバスは21時半発(Gs.40,000)。国境まで約7時間半の予定。バスはスキマ風があってかなり寒く、ほとんど眠れない。 |