「オペラ座の怪人」の珍訳字幕のさらに詳しく

原文:I will be here this evening to share your great triumph.
字幕「今夜の初日の大成功を楽しみにしています」
原文:Madam, I had hoped to make that announcement public tonight
    when the Vicomte was to join us for the gala.
字幕「子爵のご支援はオープニングの今夜――/発表する予定だったが――」


そもそもラウルの台詞の中には「gala」という言葉も、フィルマンの台詞の中には「オープニング」という言葉も入っていないのですが・・・・

「gala」という言葉自身には初日という意味はありません。
gala 「【名】祭り、祝祭、にぎやかな催し 【形】お祭り(騒ぎ)の」
「gala」は元はフランス語で「饗宴・祝賀」という意味です。
英語の他、イタリア語、ドイツ語でも「gala」を使いますが、どの言語でも「特別な催し、祝賀」という意味になっており、初日という意味はありません。市販のオペラ用語辞典でも調べてみましたが、「ガラ」は「特別公演」となっており、初日、初演とはなっていませんでした。

オペラ、演劇、映画の初日として一般に使われるのは「premiere」です。
premiere 「【名】初日、初演、主演女優◆映画・演劇の」
そしてシーズン初日には「Season Premiere」あるいは「Opening night」を使います。
opening night 「初演の夜、初日の夜」
その中でもVIPを招いて華やかに祝典・祝賀会を催すときには、特別な初日、初日祭という意味で「gala-premiere」あるいは「Opening Night Gala」を使います。
gala premiere 「封切り興行」
つまり「gala」は他の「初日」を指す言葉と結びついて、初めて「初日」の意味を持ちます。

しかし日本語でも普通の会話の中では、「特別公演」であっても互いにその事を知っている者同士なら、略してただ「公演」としか言わなかったりしますので、「オペラ座の怪人」の中に出てくる「gala」も、もしかしたら「gala-premiere」を略して「gala」と言ってるのかもしれません。
でも一夜限りの、何かの記念の特別公演だった可能性もあるわけです。
「初日」なのか「一夜限りの特別公演」なのか、それは舞台でも映画でも語られていません。語られていない以上、ここは「初日」と限定せずに「特別公演」とすべきだと思います。4文字で長いなら、最初に「特別公演」として、その後はただ「公演」とするなり、"ガラ"とルビを打ってその後は「ガラ」と出すなり方法はあるはずです。

なお自分は、代役の用意が無いことと、その後ハンニバルが続いて上演された様子がないので、一夜限りの公演だったのではないかと思っております。

まあしかし正直な所「gala」だったのは深い意味があるわけでなく、単に原作がガラだったから舞台も映画も「gala」で済ませたのではないかと思います(原作では新支配人就任祝いのガラ・コンサートだった)。
なお3幕の衣装が19世紀のイブニングドレス(オーストリア皇后エリザベートの衣装)なのは、演出上の都合(あるいは監督かALWの趣味)のようです。
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原文:Brava, brava, bravissima
字幕「ブラボー、ブラボー、見事だった」


ファントム(オペラ座の怪人)が一人でいるクリスティーヌに対して言う言葉。
「ブラボー」は男性に対して、「ブラヴァ」は女性に対して、「ブラヴィ」は複数に対しての賛辞。
英語ではすべて「ブラボー」なのでこのままでもいいという意見と、わざわざ「ブラヴァ」と言うことによって怪人が音楽に造詣が深い事を表しているのだから「ブラヴァ」にするべきだという意見がある(新支配人のうち音楽に詳しい方のアンドレも「ブラヴァ」を使っている。ラウルは「ブラボー」...orz)。
日本においては「ブラボー」しか一般的には知られていないが、それでもクラッシックファンの間では「ブラボー」と「ブラヴァ」の使い分けはほぼ常識となっている。
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原文:The phantom of the opera is there
字幕「ファントム オブ オペラが ここにいる」


姿を現したファントムに、オペラ座の地下へと導かれながらクリスティーヌが歌う言葉。
And do I dream again?
For now I find
The phantom of the opera is there,
Inside my mind

「ファントム オブ オペラ」だと「オペラのファントム」になってしまう。歌に合わせるためにわざと英語をカタカナ表記にしたのだと思うが、それなら「ジ」を入れるべきでは?
しかしここはちゃんと「オペラ座の怪人がいる」「オペラ座のファントムがいる」と日本語に訳す方が親切。全ての観客が英語が分かるわけでもなく、また「ファントム オブ (ジ) オペラ」=「オペラ座の怪人」の説明が最初の題名時にしかないため、オペラ座の怪人の事を言ってると分からなかった観客もいた。
この映画全体を通して、"phantom"や"ghost"を、「ファントム」「幽霊」「怪人」「ゴースト」とごちゃ混ぜに使用しており、予備知識なくこの映画を見る人にとって非常に不親切な字幕になっている。
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原文:Who seems a beast but secretly dreams of beauty
字幕「『美女』を夢見ている」


仮面を剥がれ醜い素顔が露わになったファントムが、クリスティーヌに対して言う言葉。
beautyの前に冠詞theがないため、ここは「美女」ではなく一般的な「美」の事を指す。
直訳すると「獣に見えても、密かに美しさを夢見る」
このすぐ前の歌詞は
this loathsome gargoyle, who burns in hell, but secretly yearns for heaven
「地獄の業火に焼かれた怪物だが、密かに天国にあこがれる」である。
ファントムは外見は醜くても、心は醜くないことを訴えたいのある。

またこの部分はクライマックスでクリスがファントムに言う、
This haunted face holds no horror for me now ... 
It's in your soul that the true distortion lies ... 
(醜い顔はもう私を恐れさせない。本当に歪んでいるのはあなたの心よ)
に繋がる重要な言葉である。
ここで「美女を夢見ている」としてしまうと、ファントムが単に女を欲しがっているだけだと受け取られかねず、ラストシーンでのクリスティーヌの言葉の重みが無くなってしまう。信じていた者に裏切られたというクリスティーヌのファントムへの絶望の大きさが観客に伝わらなくなってしまうという、非常に問題のある誤訳。
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原文:(フィルマン)Well, how should we know?
字幕「知るか!」
原文:(アンドレ)Of course not!
字幕「バカ言うな!」
原文:(フィルマン)And what it is, that we are meant to have wrote・・・written

字幕「一体どういう内容の手紙なのかね」?


オペラ座の支配人達がラウルに言う言葉。
オペラ座の有力なパトロンであり貴族でもあるラウルに対して、こんな言葉使いはありえない。
それも英語原文では、わざわざ言葉をwroteからwrittenという丁寧語に言い換えているシーンである。
登場人物の上下関係が混乱するので、字数制限があってもタメ口と敬語の区別はつけるべきである。
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原文:And soon you will be beside me
字幕「君は僕の隣に座る」


Order upiy fine horses! Be with them at the door
(馬車を用意してドアの所で待っていて)
というクリスティーヌに対するラウルの返事だが、馬車の座る位置の事を言ってるのではなく、「君はすぐに僕のところに戻ってくるよね」と言っている。
(クリスティーヌはこの後「イル・ムート」に出演するため、舞台に戻らなければならない)
なお「馬車を用意して」という言葉には、「婚約して」という意味合いもあるらしい。
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原文:Maquerade! Paper faces on parade
字幕「マスカレード 仮面の洪水〜」


マスカレード(仮面舞踏会)の場面で仮面を付けた群衆が歌う。
Masquerade! Paper faces on parade.
Masquerade! Hide your face so the world will never find you.
(仮面舞踏会!仮面のパレード!仮面舞踏会!顔を隠せ!見つけられないように!)

この「洪水」に賛否両論あり。
マスカレードの場面では「洪水」でもいいと思う(この曲の中では「たくさんの顔が渦巻く」とか「溺れていく」とか、水にからませた言葉を字幕に使っていて、詩的でなかなか上手い訳だと思った)。
しかし問題は同じ曲がラストシーンでも歌われる事。ファントムが呟くように同じフレーズを歌い、続く言葉はChristine, I love youである。一番泣きが入る場面であるので、その場面では「洪水」という言葉は合わない。ラストシーンだけ別の言葉に置き換えるべきだと思う。
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原文:Dreaming of you won't help me to do
    all that you dreamed I could

字幕「あなたを夢に見てもそれはかなわない。夢をかなえるのは私自身なのだから」


Wishing I could hear your voice again,
Knowing that I never would...
「(もう一度あなたの声が聞きたい)
 よく分かってるわ それはあり得ない事」
Dreaming of you won't help me to do
all that you dreamed I could...
「それは叶わない
 夢を叶えるのは私自身だから」

「それは叶わない」の「それ」は英語文を見るとその後の「all that you dreamed I could」にかかると分かるのだが、字幕では一文ずつ順番に表示される関係で、その前の「それはあり得ない事」の「それ」と同じ「それ(=あなたの声が聞きたい)」を指していると取ってしまう。そのため「夢を叶えるのは私自身だから」という言葉が流れから浮いてしまっている。
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原文:passion-play
字幕「情熱のプレイ」


劇中劇「ドン・ファンの勝利」の中で、ドン・ファン(ファントム)に誘惑される娘(クリスティーヌ)が歌う歌。
No going back now,
Our passion-play has now at last begun
(もう戻ることはできない。私たちの受難劇は始まってしまったの)

passion-playで「受難劇」。
翻訳者はアカデミー賞の特番でメル・ギブソンのパッションについての話題が出た時に「passionには「受難」の意味がある」と宣うたらしいので、知らなかった訳ではないらしい。
またpassion-playで暗にsexを指す場合もあるため、字幕スレ等で「情熱」か「受難」か意見が分かれている。

しかしpassionを「情熱」とするにしても「プレイ」というのはいかがなものか?
「私たちの情熱のプレイが―今から 始まる」
これから始まる『情熱のプレイ』って一体どんなプレイよ?日本で「プレイ」という言葉はかなり卑猥に取られる言葉である。これがオペラの中で女性が歌う歌詞という事を忘れてないか?
雰囲気をぶち壊す情緒のかけらもない字幕であり、そのため英語の分からない人でもこの字幕を変だと思った人が多数いる。

なおこの「ドン・ファン」ではwinding-sheet(経帷子)といった言葉も出ており、曲の最後では(地獄の)炎に焼かれようとなっているため(ドン・ファンでは最後、悪徳のため地獄の炎に焼かれる)、わざと「受難劇」という宗教的な言葉を使っていると考えられる。また原作では同シーンのオペラは「ファウスト」である事を考えると、ここはそのまま「受難劇」とする方がいいのではないかと自分は考えている。
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原文:your hand at the level of your eyes!
字幕「ロープで絞められぬように用心して」


クリスティーヌを拉致したファントムを追ってラウルが地下に向かおうとした時、マダムジリーがラウルに忠告して言う言葉。ファントムが投げ縄の名人のため、縄で首を絞められないよう目の高さに手を挙げておくようにアドバイスをしている。
2度同じ言葉があるのだが両方とも「ロープに用心して」で、手を挙げておくようにという説明が字幕ではないため、その後ラウルが片手を挙げる理由が観客に伝わらない(説明が無いと、ラウルが風で髪が飛ばされそうなのを押さえているようにも見える)。またこの後実際にファントムに首を絞められる事になるのだが、ファントムがRaise up your hand to the level of your eyes!「手を上げてその首を守れ」と揶揄っているのに、それが観客に伝わらない。
2度同じ言葉があるのだから、どちらかで「手で首を守れ」という説明をするべきではないかと思う。
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三重奏の場面
(それぞれの台詞をラウル(ラ)ファントム(フ)クリスティーヌ(ク)と色分けしています)

(ラ)Christine, forgive me, please forgive me 
(クリスティーヌ許してくれ)
字幕「許してくれ」
(ラ)I did it all for you, and all for nothing 
(全ては君のためだったのに、全く無駄になってしまった)
(ク)Farewell, my fallen idol and false friend 
(さよなら私の落ちた偶像、偽りの友よ)
字幕「−君のためにしたことだ
    −さよなら 私の落ちた偶像。」
(ク)We had such hopes, and now those hopes are shattered 
(私たちの希望は今や崩れてしまった)
(フ)Too late for turning back,too late for prayers and useless pity 
(戻るにはもう遅い、祈りも無駄な哀れみももう遅い)
字幕「私たちの夢は無残に崩れ去った」
(ラ)Say you love him, and my life is over!
(彼に愛してると言えば、僕の人生は終わる)
(フ)All hope of cries for help 
(助けを求めてももう遅い)
字幕「−僕を裏切らないで
    −助けを求めても もう遅い」
(フ)no point in fighting for either way you choose, You cannot win! 
(抵抗しても無駄だ、どちらの道を選んでも、お前には勝ち目はない)
字幕「どっちの道を選ぼうとお前は勝てぬ」
(ラ)Either way you choose, he has to win 
(君がどちらの道を選んでも、彼が勝ってしまう)
(フ)So, do you end your days with me,or do you send him to his grave? 
(お前は私と死ぬまで共に生きるか、それとも彼を墓に送るか)
字幕「これからの日々を私と過ごすか、彼を墓に追いやるか」
(ラ)Why make her lie to you to save me? 
(なぜ僕を救うために彼女に嘘をつかせるのだ?)
字幕「僕の命を救うために、彼女に嘘をつかせるのか」
(フ)Past the point of no return 
(もう戻れぬ)
(ク)Angel of Music, Who deserved this? 
(音楽の天使、誰がこんな苦しみに値するというの?)
字幕「音楽の天使よ、なぜこんな苦しみを与えるの?」
(ラ)For pity's sake, Christine, say no! 
(クリスティーヌ、頼むノーと言ってくれ)
(フ)The final threshold 
(最後の境界線だ)
(ラ)Don't throw your life away for my sake! (僕のために君の人生を無駄にするな)
(フ)His life is now the prize which you must earn! 
(彼の命の価値はお前がつけるのだ)
字幕「彼の命はお前 次第」
(ク)Why do you curse mercy? 
(なぜあなたは慈悲を呪うの)
「あなたに慈悲は ないの?」
(ラ)I fought so hard to free you . . .
(僕は君を自由にするために戦ったんだ)
字幕「君を助けようと 努力したのに」


クリスティーヌを助けるために地下のファントムの隠れ家にやってきたラウルだったが、逆にファントムの投げ縄に捕まってしまう。そしてラウル、クリスティーヌ、ファントムの三重唱が始まる。
この三重唱で、ファントムはラウルを助けたければ自分と結婚するようクリスティーヌに迫り、クリスティーヌは心まで怪物となったファントムを詰る。そしてラウルはクリスティーヌに自分のために犠牲になるなと訴えているはずなんだが・・・・
黒太字の字幕の部分を読んでみよう。
ラウルが命乞いをするヘタレに思えないか?

3人一緒に歌っているが全員の言葉を出すわけにもいかないので、誰の言葉を字幕として出すか選択しなければならない。そのため翻訳者はその時映像に映っている人物の台詞を字幕にしたようである。字幕では誰の台詞か声で区別する事もできないのでその方法は正しいのかもしれないが、そのため前後の言葉との繋がりがおかしくなったり、重要な言葉を落としてしまったりしている。

字幕「−君のためにしたことだ
    −さよなら 私の落ちた偶像。」

これはラウルとクリスティーヌの台詞だが、クリスティーヌはファントムに対して言っているのだが、字幕ではラウルの台詞と一緒に表示されるため、ラウルに対して言ってるようにも取れてしまう。

字幕「−僕を裏切らないで
    −助けを求めても もう遅い」

Say you love him, and my life is over!は「君の愛を得られないなら僕は死んだも同然」という意味合いだが、「僕を裏切らないで」だと意訳しすぎで本来の意味を全く伝えていない。ファントムの「助けを求めても もう遅い」と一緒に出るため、「僕を裏切らないで」が「君は僕を見捨てたりしないよね」と助けを求めているようにも取れて、ラウルが命乞いしているように思える。

Don't throw your life away for my sake!
ラウルのこの3重奏中一番重要な言葉であり、映像でも必死に叫ぶラウルの顔が映っているにもかかわらず字幕では無視された。この台詞「僕のために君の人生を犠牲にするな」があれば、ラウルが命乞いをしてるとは絶対思われなかったはずである。

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原文:God give me courage to show you,
    You are not alone
字幕「神さまの与えて下さった勇気であなたに示そう
    私もあなたに惹かれていたと!」


三重唱ではクリスティーヌは、ラウルの命を盾に結婚を迫るファントムに対して、顔は醜くても心は醜くはないと信じていたのを裏切られた悲しみを訴える。
しかしどんなに訴えてもファントムは「自分かラウルか選べ」と言って全く聞き入れようとしない。そしてクリスティーヌは

Pitiful creature of darkness,
What kind of life have you known?
(暗闇の哀れな生物。あなたはどんな人生を送ってきたの?)

という言葉の後、ファントムに近寄りながら

God give me courage to show you
you are not alone
(神よ、彼に示す勇気を下さい。あなたは孤独ではないのよ・・・・)


と言いながら、素顔のファントムを抱き寄せてキスするのである。
長いキスの後ファントムは、ラウルの首の縄を切り、

Take her, forget me,
Forget all of this . . .
Leave me alone - forget all you’ve seen . . .
(彼女を連れて行け、自分の事は忘れろ、すべて忘れるんだ・・・
 私をひとりにしてくれ! お前達が見たことはすべて忘れるんだ・・・)

と言って、2人を行かせるのである。
クリスティーヌはラウルと共に一度立ち去るが、再びファントムの元に戻ってくる。そしてファントムから受け取った指輪をファントムに戻し、今度は本当にラウルと共に立ち去るのである。

you are not aloneの直訳は「あなたは孤独ではない」あるいは「あなたはひとりではない」である。
字数は問題ないはずなのに、何故「私も惹かれていた」という意訳でもない全く別の言葉に変えてしまったのだろう。その方が雰囲気に合っているとでも思ったのだろうか?「惹かれた」という解釈は翻訳者の解釈であり、それを字幕を見た人全員に押しつけるのは傲慢である。このyou are not aloneという言葉とキス、そしてその後の流れをどうとらえるかは、映画以前の舞台の時から人によって様々であった(どんな解釈があるかはスレまとめ参照)。翻訳者が「惹かれていた」解釈したとしても、他の人が同じ解釈をしているとは限らない。どう解釈するかは見た人の自由であり、翻訳者はその自由を奪う権利はない。だからここは他人の解釈を侵害しないように、意訳せずそのまま直訳するべき場所である。

またここではクリスティーヌやファントムの気持ちをどう解釈するにしろ、「孤独じゃない」あるいは「ひとりではない」という言葉にしなければならない理由もある。

まずこの言葉の前が What kind of life have you known? である事。クリスティーヌはファントムが「どんな人生を送ってきたの」か尋ねている。そしてファントムの人生は孤独だったのである。ファントムは醜さ故に人から隠れて、オペラ座の地下で孤独に生きなければならなかった。だからこそ「あなたは孤独ではないのよ」と言ってあげるのである。
またこの地下のシーンの前、The Point of No Returnでファントムは
Say you'll share with me one love, one lifetime ... 
Lead me, save me from my solitude ... 
(私と一つの愛と一つの人生を分かち合うと言ってくれ。私を導いてくれ、私を孤独から救い出してくれ)と言って、クリスティーヌにプロポーズしている。彼は孤独から救って欲しかったのである。
なおエンディング曲のLearn to Be Lonelyは本来ファントムの歌う予定だった曲で、編集の都合でカットされる前は、マダムジリーがファントムの過去を語った後に入る予定だった。歌は、孤独に生きなさいと言い聞かせる内容である。この曲が映画化で新たに追加されたのは、やはり「孤独」というのがこの物語の重要なキーワードだからではないだろうか?

「惹かれた」ではおかしい理由もある。
「惹かれた」相手なら、God give me courage to show youと神様から勇気をもらわなくてもいいはずである。そのため観客に「本当はキスするのは嫌なのか?」「ラウルのために我慢しているのか?」という印象を与えてしまった。そして「惹かれた」はずなのに、クリスティーヌはファントムではなくラウルと共に去ってしまうため、クリスティーヌは「惹かれた」と嘘をつく「ちゃっかりした女」「ひどい女」だと思ってしまった人が続出する結果になってしまった。
この「オペラ座の怪人」というミュージカルは、アンドリュー・ロイド・ウェッバーが、妻のサラ・ブライトマン(クリスティーヌのオリジナルキャスト)のために作ったミュージカルである。愛する妻が演じるヒロインを果たして嫌な女にするだろうか?

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Learn To Be Lonely

このエンディング曲の全歌詞、字幕、訳については字幕改善連絡室の方でまとめられていらっしゃいますのでそちらを参考にしてください。
http://miyako.cool.ne.jp/cgi-bin/jimaku/bbs.cgi?mode=one&namber=39&type=28&space=15&no=0

この曲は上述のとおり、マダムジリーがファントムの過去を語った後に、ファントムが歌う曲として映画用に新たに作られた曲である。結局バラードが続いて間延びしてしまうという理由でカットされたため、エンディング曲に廻された(カルロッタ役のミニー・ドライバーが歌っているのは、カルロッタの歌は本物のオペラ歌手の吹き替えだったため、ミニー本人にも一曲歌ってもらおうという計らい。なおそのカットされたシーンはバトラーで実際に撮影までされたようである。DVDで挿入希望!)。
本来話の途中で入るはずだった曲のため、英語原詩は非常に残酷な内容になっている。対して字幕の方はそんな事情は知るはずないのでエンディングらしい優しさのある内容になっている。かわりに随分意訳しているが・・・。
どちらがいいかは見る人の好みによるだろう。
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