Comfort Women Issue
Historical Facts
US Report Comfort Women Sep/1944
(Full Translation: US Report)
Recruting Ads For Comfort Women
Photos of Comfort Women

Behind the Scenes of This Issue
Ex-Comfort Women's Testimonies
Professor Yoshimi
Asahi Shimbun Newspaper
(Japanese)
New York Times in Tokyo
 

Vides on Youtube
The Truth of Comfort Women

 
 

朝日新聞が作った歴史

http://www.youtube.com/watch?v=EoAmItpLGuE

 


「南京大虐殺」問題

高森: はい、ご存知朝日新聞なんですね。でーその歴史認識のゆがみの代表例として南京大虐殺と先ほどこの番組でも取り上げました。 韓国の記者もぺしゃんこにやられていました従軍慰安婦の問題。取り上げますとこういうことですね。

高森: 南京大虐殺、そもそもの起こりはですね。南京大虐殺への道と言うタイトルにしましたけれどもこの昭和46年8月から12月まで朝日の本田勝一記者、ご存知、の「中国の旅」の連載、それが単行本になりました。これがそもそもの起こりなんです、実は。

高森: そしてですね、もう日本人百人切りをやって南京でとんでもない事をやったのだという贖罪意識をしっかり植え付けたあとに日中の国交樹立が同じ年の9月こう言う段取りなんですね。

高森: でこの日中国交樹立にいちばん力を注いだ、ピンポン外交その他でですね。たとえば、朝日新聞は1千万のの寄付をして、お膳立てを整えたのが朝日新聞であります。

高森: そしてそれを受けて中学校の歴史教科書に南京が登場してまいりますのが昭和53年1978年でこの当時中国の教科書には南京事件一切とりあげてなかったんですね。で、それから遅れて中国の教科書で取り上げられるようになりました。そしてやがて昭和59年になりますと、全社に南京大虐殺が取り上げられる、これは近隣諸国条項のダイレクトな影響があったわけです。

高森: そしてですね遅れて1985年になってやっと中国に南京大虐殺記念館が開館してるんです。この前後関係を見ていただきたい。

高森: そしてその後1994年に「愛国主義教育実施要綱」が定められて、各地に反日記念館ができる。そしてこの今年4月にあの反日暴動が起こると。こういう流れなんですよ。

高森: ですから、愛国主義教育の前に記念館が出来、記念館の前に中国の教科書に南京が入り、その前に日本の教科書に入り、そしてその前に朝日新聞の連載があった、というこういう流れなんですね。

高森: 発端は朝日の本田記者でありました。

「南京大虐殺」問題年表

1971年(昭和46年)8月-12月 朝日の本田勝一記者、「中国の旅」の連載
1971年(昭和46年)9月 日中国交樹立
1978年(昭和53年) 日本の中学校の歴史教科書に南京が登場
1984年(昭和59年) 全社の教科書に南京大虐殺が登場
                   (近隣諸国条項に影響)
1985年(昭和60年) 中国に南京大虐殺記念館が開館
1994年        中国、「愛国主義教育実施要綱」

 

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「従軍慰安婦」問題

高森: そして同じくですね、「従軍慰安婦」の流れを整理すると、朝日の上村隆記者、もう水曜日ごらんの方はおなじみの、あの上村記者がですね、義理のお母さんのお写真もご紹介致しました。あの上村記者がですね「従軍慰安婦」の強制連行記事を平成3年の8月にですね。嘘を交えて面白おかしくスクープして頂いて訳であります。

高森: そしてそれを受け、このとき韓国のメディアはどこもそれを取り上げていないんですね。そしてそれを受けて「元慰安婦」と名乗る3人が日本政府をこの年の12月に提訴致します。

高森: そしてですね。そののち翌年の1月に宮沢首相がですね、日韓首脳会談で植民地支配と「慰安婦」についてはじめて謝罪を致します。 朝日のお膳立てが功を奏したという形でこの謝罪。

高森: そしてその後ですね、政府の調査をいたしましてですね。強制連行を裏つける資料がまったく無い事がこの年の7月にわかる半年資料が無い事がわかる半年前にですね、宮沢喜一さん、「ごめんなさい」と謝罪をしてるんですね。

高森: どういう頭の構造をしているのか非常に不思議な方で、ありますけども、そして、この翌年の8月になりますと、これで単独の自民党政権の最後の日であります。

高森: とんでもない置き土産として、河野洋平官房長官が談話でですね、根拠資料の無いまま、強制性を認める発表をして、これで手打ちができるんじゃないかというとんでもない思い違いをしておりました。

高森: それを受けて、今度は日本の教科書全社に平成8年から入ってゆく。日本の教科書の記述が勧告にも取り上げられていなかったと、という事を先ほど藤岡先生も述べておられましたが、これもさかのぼればですね、実は朝日の上村記者の誤報、ここからスタートしてる。

高森: 本田勝一記者の「百人切り」もこれは明らかな誤報である、間違い、嘘をそのまま無批判に乗せた物でありました。歴史認識のゆがみ、反日自虐史観、全て嘘からスタートしてる。

高森: で、慰安婦に付いてもう少し詳しくですね、先ほど韓国人の記者にも番組を見ていただきたいところでありますけれども、慰安婦強制連行説の虚構性という事で5点、整理致しました。

高森: まず、強制連行が実際行われたのであれば、それを指示した政府や軍の、文書、ドキュメントがあるはすなんですね。どんなものでも良いからあるはずですが、これは政府総力を上げて調査をしても まったく出てこない、ゼロ。

高森: そして強制連行をしたんであればですね、加害者がいるはずです。そして加害者の証言が出てくるはずですけど、吉田清治という人の嘘以外はゼロ。この吉田清治さんの嘘を朝日新聞は再三にわたってですね、まあ都合4回ほど報じているんですが、実はこの吉田清治さんという方、この名前からして本名ではなかった。

高森: そして戦後の経歴もですね、終戦間も無いころ山口県下関市の市議会議員の選挙に日本共産党から立候補したという経歴がわかっているだけで、さっぱりわからないんですね。

高森: そしてその政治さんの土下座をしてまで講演した方ですけど、嘘だった事がわかった。まあ本人も認めてしまっているわけです。したがって加害者の証言ゼロ。

高森: そしてじゃあ目撃者がいるはずなんですね、そんな強制連行であれば。その目撃者の証言もゼロ。

高森: そして被害者の証言が山程ございますけれども、裏付けのあるものはゼロ。ですね。

高森: そして何よりもですね、昭和40年に日韓基本条約が締結される際にですね、日本と韓国の間の未解決の問題を全てテーブルに載せて日韓の間で交渉を積み重ねているわけですね、綿密な交渉。

高森: そのとき一切韓国側からこの強制連行に付いては、主張がありませんでした。ゼロなんですね。

高森: これだけなんも間もゼロゼロゼロずくめでですね、どうしてそのの強制連行があったといえるのか?

高森: 最期の砦は、被害者の証言なるものですけれど、じゃあ、元慰安婦の証言は信用できるのか?という事であります。これは面白いシンポジウムの記録がありまして、これも朝日新聞の論座に載せられた記録があります。

高森: 上野千鶴子さんがですね、強調されますね。全部ゼロなもんですから、「一番基本になるはずの当事者証言・・・、ご本人達が強制があったと仰っているー」 とこういう風にいわれました。

高森: それに対してですね、パネリストの中で唯一明確なその否定の立場に立たれる、日下公人先生が、「ご本人は自分で進んでやったとはそれは言わないでしょう 。強制されたと言うでしょう、そう言わなければ自分の親戚全部に迷惑がかかりますからね。」と こういう風に切り返されます。好きで行きましたとは誰も言わないですよね、これね。

高森: それに対して上野さんは鋭く、「今のご発言はご本人が嘘を言ったのと同じになります。」と言って食って掛かったところ、日下先生は、「はいそうです。」とこういってしまうんですね。

高森: で、それに対する上野先生の答え方が微妙なんですね。「被害者と呼ばれる人達も日下さんによる揚げ足取りが可能なような多様性を持っている事を十二分に承知しております。」と上野先生は答えておられるんですね。

高森: これ上野先生ご本人が嘘つきと仰ったのと同じ意味になりませんか?上野先生うそつきだと言ってしまれちゃったの?という事でありまして、従軍慰安婦なるものの証言もどうも上野先生も信用できないと、とこういう事でありますので慰安婦の虚構性実在をさせる物はまったくゼロなんで・・・。

「従軍慰安婦」問題要点

最初の記事を書いた記者の妻の母は韓国の戦後賠償請求者の会の会長
加害者の証言 -- 吉田清治 (偽名)
             (共産党で山口県の市会議員に立候補した経歴以外不明)

強制連行を裏つける資料 -- 無し
強制連行を指示した政府や軍の文書 -- 無し
昭和40年に日韓基本条約が締結時 -- 議題にも上がらなかった

元慰安婦の証言 -- 信用できない