■ 事件発生、オリンピックにテロリスト侵入
1972年9月5日、西ドイツのミュンヘンでオリンピックが開催されていました。イスラエルも選手団を送り、これに参加していました。
そのオリンピックのイスラエル選手村に突如、パレスチナゲリラ”ブラックセプテンバー”のメンバー7名が侵入したのです。ゲリラはイスラエルのコーチと選手の2名を射殺し、残った9名を人質に取り立てこもりました。
■ 犯人の要求
ブラックセプテンバーは駆けつけた西ドイツ警察に対し、イスラエルの刑務所に収監されている仲間と(当時パレスチナゲリラと協力関係にあった)バーダー・マインホフのアンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフの釈放、そして自分達の逃亡を要求します。
イスラエルのゴルダ・メイア首相はモサドのザミアー長官を派遣し、イスラエルの特殊部隊を送り込んで解決する事を西ドイツ当局に打診します。しかし、西ドイツはメンツもありこれを許可せず、自国の狙撃部隊により射殺する作戦に出たのです。
■ 西ドイツ警察の作戦
西ドイツ警察の計画は、犯人の要求を飲むふりをして時間を稼ぎ、エジプト行きの飛行機を用意します。そして、立てこもっている選手村から犯人と人質をヘリで空港まで輸送します。最後は、空港で犯人達が飛行機に乗り換えるタイミングを狙って狙撃するという作戦でした。
西ドイツの作戦は予定通りに進みました。2機のヘリは、飛行機の用意された空軍基地へと着陸し、ゲリラが飛行機の内部をチェックしてヘリに向かって振り向いたその時、狙撃部隊指揮官が”シュート”(撃て)と命令しました。
ところが、時間が夜の10時30分であり、夜間のシュートに慣れていなかった狙撃隊員が初弾をはずしてしまいます。これは致命的なミスでした。
■ 狙撃失敗
最初のシュートでブラックセプテンバーは3人を倒されましたが、他のメンバーはヘリを盾に警察と銃撃戦になりました。そして、現場はこう着状態となります。
銃撃戦開始から1時間40分後、ブラックセプテンバーは状況打開のため行動に出ます。メンバーの1人が飛び出し、ヘリに向かって手りゅう弾投げつけ爆破、これを囮にして逃亡を図るも射殺され、逃亡作戦は失敗しました。
3人のメンバーは逮捕(後に釈放)されましたが、人質は射殺されており、この作戦は完全に西ドイツの失敗でした。
■ 犯人逃亡とモサドの復讐
モサドはこの事件の報復として、生き残った3人のメンバーとその関係者を次々に暗殺しました。ところが、なんとモサドは1人の関係者暗殺に失敗してしまったのです。それはアリ・ハッサン・サラメという男でした。
サラメはブラックセプテンバーの幹部とフォース17のリーダーを兼任し、オリンピック襲撃の首謀者となり、イスラエルの抹殺リスト堂々のトップを飾っていた人物です。モサドは必死の捜査の結果、ついにサラメの居場所を突き止めたのです。
サラメがノルウェーに潜んでする事を突き止めた時、悪い事にモサドの暗殺部隊は休暇中でありました。殺人課のメンバーが休暇を終えるまで待っていては、サラメが逃亡する可能性がありました。
モサドのザミアー長官は決断を迫られました。そして、ザミアー長官は殺人課の所属ではない人間を率いて、自らノルウェーまで出張したのです。
1973年7月21日、この素人暗殺集団はサラメを暗殺しました。しかしその後、なんと暗殺部隊の一部がノルウェー警察に逮捕されてしまったのです。
今までの暗殺は殺人課の人間が行なったプロの仕事であり、証拠も何も残さず処理していました。しかし、今回は素人殺人部隊であっため、現場を目撃者されてしまったばかりでなく、ノルウェー警察に自白までしてしまうというおまけつきでした。
正規の訓練を受けた、諜報および特殊工作機関(モサド)に所属する殺人課の人間ならば、例え逮捕されたとしても、自分がモサドの人間だなどと喋ることはありません。
ところが、捕まったのがエージェント(現地協力メンバー)だったため、洗いざらい(知っている範囲で)喋ってしまったのでした。
さらに逮捕されたモサド関係者はノルウェー警察から衝撃の事実を聞かされました。なんと、サラメと思って殺した人物が無関係の別人であったのです。
そして、この一件で暗殺部隊の暗躍が世界中に知れ渡り、イスラエルは非難の集中攻撃を受けてしまいます。
結局、ミュンヘンオリンピックでのイスラエル選手人質事件を未然に防げ無かったばかりか、暗殺まで失敗するという失態を犯した、世界最強諜報機関モサドは国内での株を著しく下げてしまい、クネセトでこの問題について取り上げられるほどでした。諜報機関は常に、政治の外にあるべきなんですが・・・。
最終的にサラメは1979年1月22日、レバノンのベイルートで自動車に仕掛けられた爆弾によって爆殺されました。
そして、西ドイツはこの時の失敗から、対テロ特殊部隊GSG−9を設立しました。今まで、ナチス親衛隊の復活になる事を恐れて、持つ事が無かった特殊部隊を設立したのです。 |