this Extended Essay is subjected for International Baccalauretae may 2000 examination session

by yuya iketsuki

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第一章   「三四郎」における「お金」と人間関係

 

  物語の序盤で、「三四郎には三つの世界が出来た」[i]と始まる部分がある。この「三つの世界」の観点は、「三四郎」の物語を略図化にしたものといえる。第一の世界が「田舎」、第二の世界が「学問」、第三が「女性」ということになる。

  第一の世界には母親がいる。毎月の仕送りが第一の世界と三四郎を結ぶ。

  第二の世界には広田先生や野々宮がいる。「お金」はここでは影がうすい。

  そして第三の世界はハイカラで、里見美禰子と野々宮の妹、よし子が存在する。

  第三の世界の焦点が美禰子と三四郎の関係と、「お金」の貸し借りだ。

  三四郎は与次郎の不手際によって、美禰子から下宿代を不本意ながら借りることになる。「お金」を借りに行く三四郎に、美禰子は様子をうかがいながらも結局は自分の通帳から三十円を引き落とさせて、それを半強制的に渡した。金を受け取った三四郎は「迷惑の様な気が」[ii]する。

  ここから美禰子と三四郎の間に切りようのないつながりが生まれる。与次郎は三四郎にこう述べている。「己が金を返さなければこそ、君が美禰子さんから金を借りることが出来たんだろう」[iii]、「君は厭でも、向うでは喜ぶよ」[iv]、「人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ」[v]。おそらく与次郎は「お金」の貸し借りで成り立つ関係を理解していたのだろう。だが肝心の三四郎は早く返すほどいいと考える。彼は国へ臨時に三十円を請求した。

  ただここで見落としてはいけないのは、三四郎が「お金」を返したがっているにしても、そこにはたしかに与次郎の考えるような下心が存在することだ。「美禰子がこれを受取る時に、又一煽り来るに極っている。三四郎はなるべく大きく来れば好いと思った」[vi]の記述がそれを裏付ける。

  三四郎は「お金」を返しに行く。ちょうどその時美禰子は画家の原口の家でモデルになっていた。しばらくしてから、三四郎は美禰子と話す機会を得る。「「じゃ、何んでいらっしたの」三四郎はこの瞬間を捕えた。「あなたに会いに行ったんです」」[vii]。遂に本心が出る。

  だが運命とは皮肉なもので、この直後に、美禰子の許婚と思われる人物が二人の前に現れ、三四郎は一人取り残された。「お金」は結局返せていない。与次郎の論に従うと、もう借りている「お金」は無用のものとなった。

  「お金」を返すために、三四郎が教会の前で美禰子を待っているクライマックスは、これまでカラーだった画面が白黒に変わる印象だ。「かつて美禰子と一所に秋の空を見たこともあった」[viii]の一瞬の回想で始まるこの場面は濃い。だが同時に三四郎の心に吹く冷たい隙間風も実感できる。三四郎は淡々とした態度だ。美禰子の質問には、事務的にしか答えない。余計な事は全く口にしない。もう下心のない証拠だろう。

  美禰子は、普段と変わらない調子で三四郎に接している。三四郎が「お金」を差し出すと、おとなしく受け取る。

  文体上にも特徴がある。これまで「三四郎」「美禰子」に統一されていた人物の名称が、「男」と「女」の代名詞になる部分だ。この変化が示す事は、二人がもう他人だという事である。

  「三四郎」では「お金」を貸す人、借りる人の関係が出来上がった。それまで全く違うレールの上を走っていて、お互いにすれ違いが多かったものが、「お金」の貸し借りによって同じレールの上に乗り、楽に相手に接触できるようになったのである。「お金」は二人の人間、特に男女を接近させて関係をつなげる「小道具」として描かれているのだ。

第二章   「それから」における「お金」と人間関係

 

  「それから」でも、主人公の女性関係と「お金」は綿密につながっており、大きな焦点となる。ここでは代助と三千代が駆け落ちに近い状態に陥るまでの経過を追う。

  代助と三千代は学生時代から友達で、お互いある程度の好感を抱いていた。にもかかわらず、代助は大好きな三千代を古くからの友達の平岡に周旋してやったという経歴がある。その平岡が、職を無くして借金を背負いながら夫婦で東京に戻ってきた。平岡は仕事を見つけるも、生活は苦しい。借金もプレッシャーになる。そんな状況におかれた平岡夫婦の仲に変化が起きていることを代助は見とめる。

  代助にとって都合がよすぎるくらいの展開だ。代助は無意識のうちに下心を抱く。「外面の事情は聞いても聞かなくっても、三千代に金を貸して満足させたい」[ix]と。気持ちは完全に三千代に向いている。代助は嫂の梅子に頼んで二百円を都合してもらった。その「お金」はすぐに三千代へと手渡された。

  平岡夫婦の不仲は三千代自身も間接的に口にしている。酒に溺れる平岡を「昔と違って気が荒くなって困るわ」[x]と代助に同情を求めるように言ったこともあるし、代助も三千代から話を聞くにつれて「経済問題の裏面に潜んでいる、夫婦の関係をあらまし推察した様な気が」[xi]する。この傾向は、二人の行動にも見受けられる。代助に二百円のお礼に来るのに二人別々で来たのだ。その時の平岡の言動は「まるで三千代と自分を別物にした」[xii]ようだった。

  平岡夫婦は経済問題という不安材料を背負い、平岡の三千代への愛が希薄になって二人の間には自然と隙間が広がる。代助はその隙間にくさびのように入り込み、「三四郎」で成立した「お金」の貸し借りの方程式によって三千代に接近する。「お金」と愛のある男と、「お金」も愛もない男。三千代の選択は妥当だった。

  「お金」が使われているのは、なにも男女の間だけではない。親子の間柄にも大きく関与している。

  父親からの仕送りだけを頼りに、代助の暮らしぶりはのらりくらりとしている。

  親の心情として、もう年頃の息子に早く嫁をもらって独立でもして欲しい。だが代助にとっては、結婚の必要性が今一つわからない。「僕はどうしても嫁を貰わなければならないのかね」[xiii]といった調子だ。

  しかし代助にも、縁談を断り続けて父を怒らせられない理由がある。仕送りだ。彼にとって親子の絶縁は「堪え得られない程度のものではなかった。寧ろそれから生ずる財源の杜絶の方が恐ろしかった」[xiv]のだ。したがって安易に縁談を断り続けることは必ずしも得策ではなかった。

  「もし馬鈴薯(ポテトー)が金剛石(ダイヤモンド)よりも大切になったら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考えていた。向後父の怒りに触れて、万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石を放り出して、馬鈴薯に噛り付かなければならない。そうしてその償には自然の愛が残るだけである。その愛の対象は他人の細君であった」[xv]。

  結局、代助は父を裏切る。縁談を正式に断り、父からの物理的支援は途絶えた。ただ、これは否定的な展開ではない。たとえ親子の関係が修復不可能になったとしても、代助はその瞬間に過去から引きずってきたものを拭い去ったといえるからだ。さらに、たとえ「馬鈴薯」に噛り付かなくてはならなくなったといえども、彼はそこに自分の目標を見定めたからだ。自立して職に就き、三千代を養っていくという目標を。

第三章   「門」における「お金」と人間関係

 

  この小説を「それから」の続編だと解釈すると、焦点となる部分は主人公の野中宗助と御米の暮らしぶり、要するに代助と三千代のその後である。本文中には「運命に従う」といった語句が繰り返される。そこには世間からはみ出してしまった夫婦の、「消極的な暮し方」[xvi]が反映されているといえよう。

  人目に付かない、崖の下の暗く小さな家でひっそりと暮していたそんな夫婦の静粛を破ったのは、「金」だった。

  宗助は大学一年の時に親元を離れて京都大学へ転学した。そして二年になると、御米とのいざこざで大学を去る羽目になり、御米とともに広島へと移った。その直後に宗助の父が死に、一家の財産と、まだ高校生の弟、小六の養育を、佐伯という叔父夫婦に頼んだ。

  しかし東京に戻ってきて父の財産として宗助が受け取ったものは、屏風一枚だけだった。当の叔父は既に死んでいた。

  その後の叔母の説明も、ただ自分たちの立場を正当化するための弁解としか聞こえない。宗助たちも自覚はしている。だが「「(前略)こっちにもいい分はあるが、いい出せば、とどの詰りは裁判沙汰になるばかりだから、証拠も何もなければ勝てる訳のものじゃなし」と宗助が極端を予想すると、「裁判なんかに勝たなくたってもいいわ」と御米」[xvii]は反応する。このように二人はクールなほど「消極的」だ。叔父は事業家の「山気の高い男」[xviii]だったので、この夫婦の反応を予測して平気で軽率な行動に出たのではなかろうか。そう、宗助は欺かれたのだ。

  もう一人の登場人物、坂井という男は、宗助の借家の家主で、崖の上にある邸宅に住んでいる。これといった職業は記されていない。御米によると、「地面や家作を持って」「遊んでいる」[xix]らしいので、「お金」に不自由はないのだろう。子沢山で、家の中は常に笑いに包まれている。庭にはブランコがあり、娘はピアノも弾く。家主としての面倒見もよく、屋根が漏ったり垣根が腐ればすぐに修理屋をよこしてくれる。「あの坂井という人はよっぽど気楽な人だね。金があるとああ緩っくり出来るもんかな」[xx]と宗助はぼやいている。

  以前まで疎遠だった坂井と宗助は、坂井の家の泥棒がきっかけで急接近する。どちらかというと、坂井の積極性に宗助の消極性が力負けして親しくなった印象が強い。坂井はこの上なく社交的な人物で、世間の顔も広い。だが面白い事に、非社交的な宗助も、この付き合いは嫌っていないのだ。自ら友達を求める事のない宗助も、「ただ坂井だけは取除けてあった。折々は用もないのにこっちからわざわざ出掛けて行って、時を潰してくる事さえあった。(中略)この社交的な坂井と、孤独な宗助が二人寄って話が出来るのは、御米にさえ妙に見える現象であった」[xxi]。

  端から見れば「妙」で滑稽ともいえる関係が実現した。これは内面的には叔父のような泥臭い「金」のやり取りが無く、かつ家主と借家人の微妙な一体感があるからだ。全ての意味で住み分けが明確にされていて、先輩後輩に似た人間関係が成り立っている。

  宗助は一方的に「弱い人間」に描かれている――慢性的な神経衰弱、平凡な公務員。崖下の暗い家。それに加えて人妻を奪った事だ。現在でもスキャンダルになるであろうが、明治の当時は相当な罪とみなされた。つまり、少しでも世間の負い目を負えば、「弱者」になりうるのである。

  坂井は見事なまでに宗助と違う人種で、いわゆる「強者」である。二人を比べた場合、崖上、崖下と物理的に住まいがかけ離れている事も象徴的だ。しかも目と鼻の先にある二つの家は、横丁をぐるりと回らないと人は行き来できない設定も興味深い。

  このように、「門」では「お金」の社会的なステータスの格差がさらにクローズアップされる。社会の影に暮らす「弱者」宗助と御米。彼らの身の回りには「強者」がいる。宗助夫婦を欺いた佐伯の叔父夫婦、崖上の坂井といった具合だ。「お金」を持つ持たないの違いによって、無意識のうちに出来上がる心のゆとりの差が描き出されている。

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