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2004年10月14日改訂
年 月 | 走る春樹さんの足跡 | 参照記事と走るんだがやの記録 | |
1971 | <陽子さんと学生結婚。> | ||
1974 | <国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」開店。> | ||
1977 | <店を千駄ヶ谷に移転。> | ||
1981 | <店を手放し、作家業に専念。> <千葉県船橋市に転居>。 | ||
1982 | 33歳のこの頃からランニングを始める。 | 『'The Scrap' 懐かしの一九八〇年代』「アメリカ・マラソン事情」や「ランニング のためのの音楽」参照 |
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1983 | アテネ・マラソンのコースを独自に完走。 | 『村上朝日堂の逆襲』「長距離ランナーの麦酒」参照。 | |
12 | ホノルル・マラソン参加。 | ||
1984 | <神奈川県藤沢市に転居。> | ||
1985 | <渋谷区千駄ヶ谷に転居。> | ||
1986 | 2 | <神奈川県大磯町に転居。> | |
3 | 明日香村ひなまつり古代マラソン参加 | 『村上朝日堂の逆襲』「長距離ランナーの麦酒」参照。 | |
10 | <10月、ローマ、ギリシャへ> | ||
1987 | 6 | <一時帰国。> | |
10 | 国際アテネ平和マラソン参加 | 『遠い太鼓』「アテネ・マラソンと切符の払い戻しがまあうまくいったこと」参照 | |
1989 | 12 | 富士小山20キロレース参加 | |
1990 | 2 | 青梅マラソン参加 | |
3 | 小田原ハーフマラソン参加 | ||
4 | 小笠、掛川フルマラソン参加 | ||
12 | 富士小山20キロレース参加 | ||
1991 | 1 | 館山、若潮フルマラソン参加 | |
<渡米 (プリンストン大学客員研究員)。> | |||
4 | ボストン・マラソン参加 | ||
11 | ニューヨーク・シティー・マラソン参加 | ||
1992 | 1 | フロストバイドロードレース横田参加 | |
<プリンストン大学客員教授に(93年8月まで)。> | |||
3 | マンモス・ハーフマラソン(ニュージャージー)参加 | ||
4 | ボストン・マラソン参加 | 『やがて哀しき外国語』「梅干弁当持込禁止」参照 | |
1993 | 7 | <タフツ大学へ移籍(95年5月まで)。> | |
12 | 富士小山20キロレース参加 | ||
1994 | 3 | ニューベッドフォード・ハーフマラソン参加 | 『うずまき猫のみつけかた』「不健全な魂のためのスポーツとしてのフル・マラソン」参照 |
4 | ボストン・マラソン参加 | ||
1995 | 3 | <一時帰国、地下鉄サリン事件のニュースに遭遇。> | |
4 | ボストン・マラソン参加 | 『うずまき猫のみつけかた』「コウタローの行方、子猫サーシャの数奇な運命、またまたボストン・マラソン」参照 | |
11 | 国立ロードレース10キロレース参加 | ||
12 | 富士小山20キロレース参加 | ||
1996 | 1 | 館山、若潮フルマラソン参加 (13回目のフルと書いているが、通算11回目の間違い?) | 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』「梅竹下ランナーズ・クラブ通信A」参照 |
4 | 小笠、掛川フルマラソン参加 | ||
6 | サロマ湖100キロウルトラマラソン参加 | 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』「梅竹下ランナーズ・クラブ通信B やっぱり暇なんだと思うな」参照 | |
10 | 子供の国駅伝、但し駅伝レース(9時スタート)に間に合 わず、5人が10Km レースに出場。 初めてエイゾーに レースで負けた。 |
『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』「オブラディ、オブラダと、人生はつづく」参照 | |
12 | クリスマス・マラソン参加(皇居3周、15km) | ||
1997 | 1 | 館山、若潮フルマラソン参加 | 『夢のサーフシティー』「不調ながら完走した館山の若潮マラソン」参照 |
4 | ホノルル15キロレース | ||
4 | ボストン・マラソン参加 | 『夢のサーフシティー』「5回目のボストン・マラソンを走ってきました」参照 | |
9 | 村上国際トライアスロン大会参加 | 『夢のサーフシティー』「苦手の自転車から一転50人抜きの村上鉄人走」参照 | |
1998 | 1 | 館山若潮マラソン、残念ながら不参加 | 1月、若潮マラソンに「走るんだがや」が初めて参加しました。 残念ながら春樹さんは不参加。 写真 |
6 | 盲人マラソンホノルル15キロレースに伴走者として参加 | ||
7 | ティンマン・トライアスロン(ハワイ)参加 | 『BRUTUS、1999年6月1日号』「肉体が変われば、文体も変わる?」参照 | |
10 | 子供の国駅伝参加 | 『スメルジャコフ対織田信長家臣団』「「子供の国」駅伝大会に出場した<梅竹下ランナーズ・クラブ>」参照 | |
11 | ニューヨーク・シティー・マラソン参加 | 『そうだ、村上さんに聞いてみよう』「フルマラソンの記録は?」、『スメルジャコフ対織田信長家臣団』「ニューヨーク・シティー・マラソン3時間39分でゴールイン」参照春樹さんはワイフより少し良いタイムでした。 この NYCM で春樹さんと初接近しました。 | |
1999 | 10 | 子供の国駅伝参加 | 「走るんだがや」チームが初参加 |
2000 | 1 | <大磯内に転居。> | |
1 | 館山市若潮フルマラソン参加 (4時間ぎりぎりでした。) | 今度はワイフが春樹さんに勝ちました。 彼女が恐れもせずに話し掛けて、夫婦で一緒に写真を撮らせてもいました。 お宝です。 | |
9 | <シドニーオリンピック取材> | 『Sidney!』、『Sports Graphic Number Plus、2000年10月25日』「世の中にオリンピックくらい退屈なものはない、のか?」参照 | |
10 | 子供の国駅伝参加、ずぶぬれの雨と雷というさんざん なレースでした。 |
「走るんだがや」チームが2チーム参加。春樹さんの「梅竹下チーム」に負けました。 | |
11 | ニューヨーク・シティー・マラソン参加 (初めて4時間 以上かかってしまいました。) |
この大会でもワイフが春樹さんに勝ちました。 私は10kmでリタイア。 | |
2001 | 1 | 館山市若潮フルマラソンにエントリーしていたが不参加。 前日は大雪だったので仕方ありません。 |
それでも「走るんだがや」は10人が参加しました。 |
10 | 子供の国駅伝参加 | 「走るんだがや」チームが1チーム参加。 春樹さんの「梅竹下」チームにまた負けました。 | |
2002 | 1 | 館山市若潮フルマラソンは不参加でした。 | 「走るんだがや」メンバーがフル・マラソンと10Kmランに参加しました。 |
10 | 子供の国駅伝 | 「走るんだがや」チームが2チーム参加。 春樹さんは NY とドイツにでかけて不参加。 春樹さん抜きでしたが、「梅竹下」チームにまた負けてしまいました。 | |
12 | ホノルルマラソンに参加 | 春樹さんはハワイ現地から参加。 結果は4時間14分13秒でした。 | |
2003 | 2003年は、走った記録がありません。 | ||
2004 | 10 | 村上・笹川流れ国際トライアスロン大会 国際部門に参加 | 春樹さんは「村上春樹」本名で参加。結果は、総合で201位、55-59歳の部門では12位でした。 「走るんだがや」メンバーが1名参加して春樹さんよりも良い記録でした。 |
大磯に移る前は随分転居をしていたんですね。
最多参加マラソン大会は
(1位) ボストン・マラソン(1991、1992、1994、1995、1997) の5回
(2位) 富士小山20キロレース(1889、1990、1993、1995) の4回
(2位) 館山、若潮フルマラソン(1991、1996、1997、2000) の4回
(4位) ニューヨーク・シティー・マラソン(1991、1998, 2000) の3回
です。 好みの大会もじょじょに変わっているみたいですし、100キロマラソンやトライアスロンにも積極的に取り組んでいます。
opendoors.asahi-np.co.jp/span/asahido/index.htm 村上朝日堂 |
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khalki.kix.or.jp/khalki/ Welcome to Khalki Island |
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www2b.biglobe.ne.jp/~haruki/index.html 春樹堂 |
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network54.com/Forum/15537 Haruki Murakami Forum |
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