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音楽が音楽として聞こえるということは、実は大変なことなのだと思う。

空間的な連続を持つ物体については、置かれた状況が変化しても視覚的なまとまりが保持されるから、一つの物として知覚されるのだろうと一応理解できる。
例えば、目の前の鉛筆。転がしても、手で持ち上げても、自分が位置を変えても、見え方に不変の内容がある。(厳密には、そう言い切っていいのか問題はあるのだが)
さらに、視覚と触覚との関係も保持される。鉛筆の軸の平面の見え方とその触覚、芯の先端の見え方とその触覚などは安定的だ。

一方、時間的な連続体である音楽の場合は、そもそも今の音と次の音が連続的に、一つのまとまりを構成する要素として知覚されることが音楽として聞こえる前提になる。
これはどのようにして可能なのか。
時間的近接性と、要素となる音間の音としての近接性・他の音との差異性がポイントであろうかと、一応は考えられる。
音と音がどの程度の時間間隔で鳴れば連続的に捉えられるかとか、音として近接していると知覚されるのはどのような音程差、音色差のときか、などについて心理学的な実験を行うことも可能だろう。

音楽知覚に関係のある物理現象という意味では、これは確かに説明の一部にはなっているのだろう。しかし、どんどん消えていく音が一つのまとまりとして知覚されているということが、これで説明されつくしているようにも思えない。

マーラーの長大な交響曲の最後の音を聞いているとき、最初の音の痕跡は脳のどこかに残っているのだろうか。

ミンスキーが何か書いていたような気がする。読み直してみよう。

(一旦中断。いずれまた続けたい。)

 

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