MPV 98/4/20


<<< pentagon >>>

新しく見つけた正五角形画像をいくつか、アップしました。
http://www.oocities.org/NapaValley/1250/penta_dodeca.htm

この中に、正五角形のナットとレンチがあります。
もしかしたらあるんじゃないかと思い、検索ソフトで色々探してアメリカの水道工事用器具メーカーのweb pageで見つけたもの。ちょっとした満足感を覚えました。

私は日本では見たことがないのですが、読者のOさんはあるそうです。
MacClassicの裏蓋に使われていたとのこと。また、ねじ山が5本のねじとドライバーもある由。欲しい!
画像だけでも見たいものです。もしどこかで発見されたら、是非お知らせ下さい。

Oさんの話では、原爆にも五角のねじを使うそうです。普通の工具では操作できないようようにする狙いではないかとのこと。
こちらの本物はいりません。

このpentagonのページ、画像を並べるだけでなく、なぜこういう形になったのか、に迫りたいのですが、なかなかそこまで進みません。少し(たくさんかな)時間を下さい。

 

<<< 諸事雑感 >>>

公的機関のパソコン講座について。

 

茨城県にある筑西職業訓練センターのパソコン講座は、一太郎とロータス1-2-3が中心。ワードもエクセルもメニューにない。(cf.「ちくせい」1998 Vol.4)

実際のオフィスではだいぶ流れが変わっているが、講師陣が対応できないのか、新しいアプリケーションを購入する予算がないのか。

会社をリストラになった50絡みの男性が、ようやく見つけた再就職先で、「いや、多少はできますので」とパソコンに向かったら、一所懸命覚えた一太郎は使えなかった、なんてことにならなければいいが。

若いうちからパソコンに慣れていれば、一太郎だろうがワードだろうが容易に乗り換えられるが、そう簡単にいかない人々が多いことも事実。講座の方で考えてやる必要があるだろう。

 

<<< softwear >>>

マンダラートについて。

今泉浩晃氏考案のメモ手法。3×3のマス目(マンダラ)の真ん中にテーマを、回り8つのセルに関連のメモを書く。さらに、8つのセルからそれぞれ次のマンダラに展開する。例えば、初めのマンダラの左上に「かくかくしかじか」というメモがあるとしてこれを展開するときは、2番目のマンダラの中央に「かくかくしかじか」と書く。

面的表示のアウトラインプロセッサと言ってしまえばそれまでだが、この手法、今泉氏が力説するとおり、かなり有力である。

1ページに書ける項目を8つと限ったこと、セルを8方位に配置していること、それ以外の仕掛けは何もないが、この2点だけで十分価値がある。

数を限ることの効果。
1:色々アイデアが出てきてしまう場合に優先順位付けが強制される。構成の見直しにつながることもある。
2:アイデアが少ない場合には、なんとか空白を埋めたいという心理が働いてくる。

8方位配置の効果。
1:箇条書きより全体をつかみやすい。
2:項目同士が響きあい、そこから新しいアイデアが出てくることがある。例えば2番目と6番目の項目が浮かび上がって同時に目にはいり頭を刺激する。箇条書きではこれは難しい。

なお、3×3の形からは、ミンスキーの方向ニームや絵フレームの仮説が思い出される。(マーヴィン・ミンスキー『心の社会』)

最近では、パソコン上でマンダラートを使うアプリケーションも開発されてきている(Mac用及びNewton用のみ。Windows用は5月発売)。
デモ版を見たところ、マンダラ間のリンクが1クリックでできるなど、確かに便利である。
しかし、1万8千円はあまりに高い。
複数のマンダラをリンクさせるだけなら、ワードでもできる。操作性は格段に違うのだろうが、プログラムのレベルからすれば、せいぜい3千円のシェアウェアというところではないか。

(参考web)
http://www.mandal-art.com/

 

<<< wine >>>

undurraga/cabernet sauvignon 1996/colchagua valley/chile/980円@真岡福田屋

大変バランスがよい。やや酸味が強く、すっきりした喉越しで、カベルネ・ソーヴィニョンとしては軽い系統。1000円以下としては申し分なく、日常用好適と言える。

 

<<< 雑読雑記 >>>

(凡例: >直接の引用、>>要約等のアレンジした引用、tn>私のコメント)

(1)日経980413夕刊コラム「鐘」by(い)

>>ケインズは、世界を支配しているのは思想(idea)以外にない、狂気の権力者も三文学者の考えを借りている、と言っている。橋本首相の場当たり的政策も、何らかの思想が支配しているはず。皆が思想の力に関心を払うべき。

tn>確かに何らかの、つながりを持ったideasによって誰でも動いているはず。一貫性のない政策の裏に、一貫性のある考え方(例えば圧力の強い者に従う、など)があるのだろう。

(2)飯田実「ドイツの景観都市」

>>ドイツの湖には、安っぽくて子供っぽいデザインの遊覧船はない。ヨーロッパのどこでも同様。

tn>確かに日本の湖ではがっかりする。遊覧船だけでなく、足漕ぎのボートなども。でも、子ども連れで行くと、つい乗ってしまう。日本は子供を喜ばせるために色々なものをだめにしているのかもしれない。

(3)日経980410記事

>>京都大学長尾学長の入学式における言葉:京大は事実を重んじそこから真理を発見しようとするアリストテレス的態度。東大は基本的、原理的なことから世の中のことを説明しようとするプラトン的態度。

tn>世の中を説明できる原理が見失われてる今は、アリストテレス的態度が必要なのは自明で、随分京大に都合がよい。まあ、大方のイメージには合っているのかもしれないが、東大を引き合いに出して自分の価値を言わなくてもいいんじゃないの、という気もする。

(4)日経980410(夕)人間発見

>(全日本スキージャンプコーチ八木弘和氏の言葉):ボクはここ数年、タイミングが早い、遅いなんて言ったことはありません。例えば「頭の位置が5センチ落ちている」とか、「目線が2センチ遠くなりすぎているからだ」「肩の位置がおしりより下がっている」というふうに具体的に言います。

tn>ここまで言えるのが、本当のプロのコーチなのだろう。選手は精神論や抽象的なことだけ聞かされても、どうしていいか分からないのだから。スポーツに限らず何の分野でも、このレベルの指導者がほしいものだ。

(※八木氏は、レークプラシッド五輪のジャンプ銀メダリストで、長野の金メダリスト船木のコーチ)

(5)日経980417ネットワークコンピュータの記事

> プレゼンテーションソフトの普及で、社員の関心がきれいな資料を作る方に向き、肝心の仕事が進まないといった指摘もある。米シスコシステムズでは「プレゼンテーションソフトの使用を禁止したところ、生産性が格段に高まった」という。

tn>さもありなん。ただ、全部やめることもなかろう。プレゼンの重要性はやはりある。トップが初めて聞くような新規プロジェクトの企画などは、文字ベースだけでは困難だ。(全てトップダウンでいける会社なら何もいらないことになるが。)
ソフト自体の能力の問題も一因だろう。以前に比べれば随分楽になったが、それでもプレゼンテーションソフトを使いこなすのは大変だ。
しかし何より、たいていの社員は、その場面でどんな内容・スタイルの資料が適切かよく分かってないない、というのがこの問題の主要原因と見る。だから全部やめちゃったほうが生産性があがる、ということが起こるわけだが、本当に社員に能力があるなら、プレゼンソフトはやっぱり価値がある。

(6)日下公人『これからの十年』

> 簡単に言えば、ソフトが具体化されたものがハードで、具体化には時間がかかるから、ハードとはソフトの古くなったものである。(p.56)

tn>なるほど。日下流簡単明瞭本質ずばり。これの前に、重化学工業もずっと以前は貴重なソフトウェアであった、と書いてある。先月の日経「私の履歴書」三菱マテリアルの永野氏を思い出した。元々銅の精練法の研究者である永野氏の文を読んで、プラントはできてしまえば巨大なハードだが、そこに至るまではひたすらソフトの研究なのだということが分かった。

> ---社長になるとアイデアが出るようになり、目が輝いてくる。魅力的になり、女性も寄ってくる。---英雄豪傑が色を好むのではなく、色のほうが英雄豪傑を好む---(p.70)

tn>先端的文化産業の話で新宿中村屋を例にとり、カレーに使う鶏のことから親分・子分の話になって、上の話につながる。恐れ入った名調子。

>「---漢民族はどうなのか」と訊ねると、「人を働かせる。自分で働こうというのは漢民族としては風上に置けない」「人を働かせてピンハネをするのが漢民族の極意である。台湾の人はそれを忘れてる」(p.152)

>わかりやすく言えば「赤字の間は日本人に働かせる。黒字になったら没収する」(p.155)

tn>投資するとき熱烈歓迎されるのは当たり前で、回収できるかよく考えろ、という警告。日本は世界でも稀な律義な国で、借金は踏み倒そうという国ばかりなのだという。

(7)渋澤龍彦「イタリアの夢魔」

> 私はゲーテの『イタリア紀行』と逆のコースを通って、ヴェネツィア、パドヴァ、ヴィチェンツァと旅をつづけていたわけであるが、はからずもパドヴァの石屋でトスカナ石を見つけて、なんだか自分がゲーテになったような気分になったものだ。

tn> いつか私も、このコースを旅し、この石屋に立ち寄ろう。

>南イタリアの山中のアルベロベッロという小さな町で、ソラマメを肴にしながら赤ワインを飲んだこともある。ソラマメのほろ苦い味が、ワインの酸味とよく調和してうまかった。

tn> いつか私も、アルベロベッロでソラマメを肴にワインを飲もう。

 


< 発行人ノート >

・またまた、前号との間隔がだいぶあいてしまいました。内容はともかくようやく出せてほっとしてる、という情けなさです。

・コンスタントに出すには、精神論だけでなく具体的な手法が必要なのかもしれないと考え始めました。今回も少し試しています。何度かうまくいったら発表します。

・昨日今日とようやく春らしい光と暖かさ。小さな憂さは忘れられるような気さえします。この時期に年度を切り替えるのはやはり正解かもしれません。

 


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