執筆活動まる5年
NTTジャーナル 1994年8月

NTT江東支店長 菱沼 千明


 
 「これも引き継ぐから頼むよ」と前任者のシンペイ部長に言われ、わけの分からぬままOKしたのが苦しみの始まりであった。平成元年二月のことである。シンペイ部長とは当時の東京支社・技術部長の中嶋信平さんのこと。引き継いだのは電波新聞社から毎月発行されている『ラジオの製作』の連載記事である。
 以来、毎月欠かさず刷り上がり5ページの原稿を書きつづけること、まる5年が経過した。一回の原稿は、4百字詰原稿用紙で二十数枚、五年間でワープロのフロッピーディスクは五枚目になった。この間、職は東京支社・技術部長から東京技術開発センタ所長、交換システム研究所企画部長、そして現在の江東支店長に変わっている。

 初めて地域事業部に赴任し、それだけでも慣れない中で、4百字詰原稿用紙20数枚の原稿を書くのは苦痛そのもの。当初は、土曜、日曜の全てを原稿書きに費やした。

連 載記事の内容は通信にかかわる技術を分かりやすく解説すること。しかし、これが難しい。中学生か高校生向きの雑誌なので、専門用語は勿論のこと難しい技術知識は使ってはならない。しかも、分かりやすく書かなければならないときている。

 私はもともと研究者である(少なくともそのつもりである)。一般に、研究者はそのの癖として、素人分かりする説明が下手である。学術論文は、その内容の斬新さ、正当性が第一義的に求められ、素人に対する“分かりやすさなどはまず求められないからだろうか。自ずと研究者は説明下手ということになる。

 私もその例に漏れず(異論がある人もあろうが)、素人分かりする解説記事の執筆には難渋した。まず、文体である。「…である。」という口調は堅苦しいし、「…です。」も合わない。結局、「…だ。」にした。最近では、「日本で初めて電話サービスが始まったのは明治231216日のこと。」とか「テレホンサービスの第一号は“117でおなじみの天気予報。」という体言止めのテクニックも覚えた。すっかり、このスタンスに慣れてしまったので、学術論文に戻るのは無理かも知れない(戻れそうにないのはそれだけの理由ではないのだが)。

 文体よりも苦労したのが、マンガ(絵)である。文章だけでは、中・高校生は読んでくれない。文章を読みたくなるようなマンガがあり、それをリファーしている部分の文章を読むというのが今どきのスタイルである。絵を書くことには今も慣れず、苦労している。電車の中でマンガに熱中しているサラリーマンを見ると軽蔑したくなるが、学ぶ必要がありそうだ。

 最大の悩みは、何を書いたら良いかということ。当初は、思いつくままに「パソコン通信」や「Fネット」などの解説を散発的に書いたものの、自分自身がこれらに関する知識を持ち合わせていないから、もう大変。改めて、自分は電話サービスに関して無知であったなと思い知らされたわけである。

 とにかく、情報収集をすることに熱中した。そういう目で毎日を暮らしていると、あることあること。日々山のように来る回覧物は情報の宝庫であることに気が付いた。とくに、新聞の記事が良い。ホットで、かつ素人の目に分かるように書かれているので、最大の情報源になった。これをコピーし、ジャンル別にファイルしておいた。記事の執筆が順調になりだしたのは、ファイリングがまとまりかけたころからである。そうなると、次々に記事のアイデアは沸いてきた。

 そして、始めたのがシリーズものである。その第一号は「電話番号のはなし」。一般の人にとって、電話サービスとの接点は、それを利用するためにダイヤルする電話番号だ。そこに注目し、電話サービスを、そのしくみからではなく、電話番号を入口としてどうすれば利用できるか、そのしくみはどうなっているかなどを解説した。“117”や“110”などの3桁特番から始め、“0120”のフリーダイヤル、ダイヤル2Qなどにまつわる話しや、利用法などである。これはなかなか好評だったようだ。調子に乗って書いたら、このシリーズは半年も続いた。

 その後に書いたシリーズ物は、「新しい電話サービスのあれこれ」(4回)、「移動電話のいろいろ」(8回)、「電話機の知識あれこれ」(9回)、「通信サービスのしくみ」(15回)、「夢広がる未来の通信」(9回)、「公衆電話物語」(6回)である。

 二年間程執筆を続けたところで、単行本にまとめてはどうかという誘いがあった。技術開発センタの所長としての仕事もペースに乗り、比較的暇な時期を迎えていたので、一発奮起し、これまでの連載記事を単行本にすることにした。こうして出来たのが、『電話番号のはなし』と『電話機のすべて』(いずれも電波新聞社刊)である。さらに、一昨年から昨年にかけて連載した『通信サービスのしくみ』と『夢広がる未来の通信』をまとめ、3冊目の本を『通信サービスのしくみ』を題してこの5月に出版した。

 本を出版するということは影響力のあるものである。東京支社から古巣の研究所に戻って、研究企画部長という閑職(!)に携わっていたところ、郵政省の番号研究会作業部会主任をやれとのお達しがあった。私は電話番号の専門家でないにも係わらず、『電話番号のはなし』という名前の本を出したことが災いしたようである。与えられたテーマはISDN時代における電話番号の体系についてしかるべき形態を答申すること。本の内容とはおよそ程遠い課題であった。東京大学の齊藤忠夫先生のご指導よろしきを得て無事その大任を果たすことができた。

 ついた習慣というものはなかなか止めれないものである。6年目に入った現在、いよいよ佳境に入ってきた。この5月からは、「マルチメディア通信」の執筆を始めている。何回続くか、どのような内容になるか、まだ本人にも分からない。どなたかご教授賜れば幸いである。