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★「GLAYを語る」 BY 川上 きくえ

GLAYのボーカル・・・「役割」だけでない、その「存在」

  ものすごく、壮大な光を放つボーカリストだと思った。と言ってもさすがに初めてGLAYを知ったときの感想をそこまで
ハッキリ覚えているわけではない。けど、とにかく最初にTERUの歌声を聴いて抱いた印象は「光」だった。

  そもそもロックバンドはボーカリストの書いた詞に他のメンバーが曲を書くか、もしくはボーカリストが自ら詞も曲も手がける
というケースがほとんどだろう。そんな中でGLAYはオリジナル曲のほぼ9割がギタリストであるTAKUROの作詞・曲
という一風変わった楽曲形成を常としている。しかし、それでもTERUの歌声には独自のリアルさというか包容力というか、
それこそ詞や曲の出所とは無関係な説得力みたいなものを感じさせるのだ。GLAYの一員としてはもちろん、一人の男としての
責任感みたいなものかもしれない。

  それに気づいた一番のきっかけとなったのが、彼の持つ「叫ぶ力」だった。それはGLAYが若い男性ファンからの指示を得る
理由のひとつでもあるところで、たとえば「Yes,Summerdays」のように瞬発力を効かせた曲調にも「HOWEVER」のように滑らか
かつ力強い曲調にも、どちらにも背筋をまっすぐにして歌うその姿に彼なりの誠実さを感じた。落ち着いた物腰を感じさせる
TERUが、ひとたびマイクに向かうと燃焼していく様。それでいてやみくもに怒鳴り散らす発狂的アーティストとは違い、
どこか紳士的に伸びる声のレンジ。誰もが抱く切なさや嬉しさや寂しさも、彼の歌声はどんなセリフよりも
忠実に響かせてしまうのだと私は思う。

  テレビのインタビューでTERUは、こんなようなことも言っていた。
「誇りに思うことはたくさんあるけどそれを表に出さない。自慢できることはたくさんあるけどそれが滲み出てこないところが
GLAYのカッコよさだと思う」

  「GLAYの誇りとは?」という質問に対する応えだったのだけれど、それはTERUの「ボーカリスト」という立場にも
言えることであって、要するにTERUの持つ光とは歌い、叫び、時には嘆き、そうして積み重ねてきた自信そのもによって、
彼の奥底から引き出されてきたものなんじゃないだろうか。

  そしてその輝きがGLAYというバンドとともに成長し、日ごとに強い光を放つようになったのも事実で、おそらく今の
GLAYは、誰が詞曲を書くのどうのこうのといった問題とは無関係なところで音楽を作り、世の中に提示している。
たとえTAKUROの書いた言葉やメロディであっても、同じ経緯でTERUに受け止められ、その口から歌われていく。
その結果、HISASHIのギターとシンクロしたり、JIROのベースと絡んだりすることによって、TERUの歌には
この上ない生命力が現れる。それは新作2曲のプロモーションビデオからもわかることだけど、各メンバーの素顔があふれた
「SOUL LOVE」ではGLAYというバンドで歌えることの歓び、カチッと決めた演奏シーンを
見せる「誘惑」ではGLAYで歌うことの必然性を感じさせるTERUの表情に、だからこそ4人でいる理由が一番強く
現れているのだ。

  想いのやわらかさ、意志の強さ、人の大きさなど様々な人間性が形になったTERUのボーカル。
ちなみに何よりも言葉をハッキリ伝えようとする歌い方も彼の美点だと思うのだが、またそういった部分が彼の
「役割」だけではない、ボーカリストとしての「存在」を知らしめているような気がしてならない。言葉さえも正しく
伝えられないようなスタイル重視のシンガーなど、歌心ありきのGLAYには必要ないのだ。

  人間性が引き出す歌の良さと、歌に引き出される人間性。TERUのボーカリストとしての魅力はきっと、GLAYが卓越した
サウンドを鳴らしている限り光を放ち続けるに違いない。



Thanks すずさん!!