イギリスにおける「闇」の嗜好品についての一考察

17世紀以降「理性的飲料」とも呼ばれ、アルコールと対比されるコーヒー、紅茶は、当時の近代ヨーロッパ合理主義とも合い、上流階級から上昇志向(上流の模倣)の強い中産階級の間に、その後、酩酊しないという中産階級が持ち出した禁酒用の労働倫理の面からも労働者階級へ広がっていった。

紅茶が、コーヒーを押え「(恐らくビールと共に)国民飲料」となった理由には「砂糖入り紅茶」を主軸とするイギリス式朝食が成立し、薄くても甘くすれば風味が変わらず栄養あり(これは原産国中国などで砂糖を使用せず飲むことと比べると興味深いが、いつから砂糖を入れるようになったのか史料は殆どない)その他いろいろな解釈や要因があったが、17世紀後半から茶の輸入が活発化し価格が劇的に下落したことで大衆化がさらに進んだことが一番大きかったと言える。1600年エリザベス女王は、東インド会社に設立許可および極東への独占貿易権まで与え、この一粒の種がイギリス領インド帝国を生むことになった。

当時支配的だったオランダの対アジア貿易に対し、社は1682年にジャワから追い出されたこともあり、早い時機に極東へ進出、直接中国(清朝)との貿易ルートを開拓し広東貿易に参入する。特に1780年以降になって、中国商品(その殆どが茶)の輸入の決済に大量の金銀を支払う必要があり、ついに1799年イギリスは、その貿易のバランスのためにインドのベンガルで栽培していたケシの実・阿片を、中国へ輸出することを決定する。人体に有害な阿片の輸入は、当時の中国政府によって禁じられたため、イギリスは中国商人と共謀して阿片を密輸する。その後阿片の供給量の増加にともない密貿易の商人は中国に市場を展開し、収奪された「インドの富」(=インドの荒廃)を用いて「中国の富」(=中国の汚辱)を奪い、「イギリスの富」(=イギリス資本の累積)が増大していったのである。インドは18世紀末から侵略され、19世紀には植民地化され、中国もついにイギリスによって世界経済に巻き込まれる。

もともと中国では、8世紀頃から長い間阿片のことを単純な薬の形で知っていたようだが、それを喫煙(この方法も中国で完成)する習慣は17世紀の初めまでは見られなかった。16世紀から19世紀にかけてインドにおける阿片は、煎じて飲んだり、丸薬にして嚥み下したりする方法で普及していた。そのインドとの関係で、イギリスはヨーロッパでは阿片が最初に入った国であった。19世紀の初めには、阿片の丸薬がロンドンやノーフォークの薬種商の店先で大量に販売されていた。

さて阿片に対して峻厳な禁止命令を発し、インドからのそれら多くの積み荷を海に投げ捨てさせた中国皇帝に対して、イギリスは1839年から1942年にかけて第1次阿片戦争を仕掛けた。中国は敗北し、南京条約によって香港の割譲、さらには阿片喫煙者の増加を引き起こされ、とうとう自国の経済的破滅を避けるため自ら阿片を生産することになる。その東インド会社も1833年に茶の独占貿易の廃止に追い込まれるが、1856年に第2次阿片戦争が、フランス人の援軍も受けて起こり、イギリスは中国により多くの阿片を入れる。そしてイギリス下院が中国の要請で、イギリス政府に対して「道徳的に許されない」阿片の取り引きを抑圧すると要求したのはやっと1906年5月のことであった。現在では中国の革命以来正確な情報が欠けているが、中共が香港に600トンの阿片を売るように提供したという国際連合の麻薬委員会の通信書が残っており、この数字は世界の合法的な阿片の消費量の一年分である。

阿片は薬物としての資格で15世紀から入り現在全ヨーロッパに広まった。原産はメソポタミアの平原であり、紀元前1550年にエジプト人たちによりケシの若い実の莢膜に傷を付けて採る薬として栽培されていた。その後阿片は小アジアに現れ、その後イスラム教と共に世界的な移動を始める。その最も大きな受け入れ国は中国とインドであり、19世紀には、アヘンアルカロイド(植物塩基)のモルヒネ(痛覚だけを抑制し、麻酔剤として量を押さえ医療に使用)が、ナポレオン軍の化学者によって発見され、その後薬学工業の著しい進化に伴い一番毒性が長く続いくヘロインなどが現われた。

19世紀ヨーロッパの芸術家の中には、阿片の受け身で冥想的な静的快楽を誇張的に称賛する者もいた。世紀初めイギリスでの阿片の使用が非常に普及し、社会のあらゆる階級(文学者ではコールリッジやトーマス・ド・クウィンシーなど)の内に速やかに進展した。20世紀半ば頃にその嗜癖はモルヒネに移り、その後モルヒネの代用薬として出されたが非常に危険なコカ葉から抽出されるコカイン、さらには粉末でた易く嗅ぐことが出来る圧倒的な毒性のヘロインに取って代わる。

1998年11月、日本でも出版された『阿片』には、人類が知った最初の薬物・阿片によって、消費国の社会はその土台を削られ、生産国の社会は大部分の住民にとっての唯一確実な収入の手段、主要な外貨獲得源として支えられてきた。大英帝国だけでなく日本帝国も阿片を利用して、中国を搾取した過去を持っている。そして貧困、人種差別、戦争と並ぶ人類の解決不可能な問題としてその歴史はあると、やや曖昧さを残しながらではあるが主張されている。

次に薬物嗜好の分類を生理作用に基づいてしてみると:
A) 精神鎮静薬 − 阿片、およびそのアルカロイドのモルヒネ、ヘロインなどと、コカイン
B) 麻酔薬 − アルコールなど
C) 陶酔薬 − 大麻など
D) 興奮薬 − カフェイン(コーヒー、茶)、タバコ、アンフェタミン系薬物

このような薬物にはもちろん、時代や場所による社会的見解の相違が見られ、いろいろ違った様相のもとにその嗜癖が現れる。

さて20世紀の現在、イギリスの新しい動きとして、大麻(英名マリファナ、ヘンプ、俗名カナビス − 雌雄花を別にする植物で、たくさんの変種があり、気候などの影響で、非常にた易く変化する)が見直され始めている。一つには地球環境問題の改善(作物として手間がかからず、肥料が殆ど不要で、土壌の栄養を使い果たすこともない)に役立つ未来の資源として、産業用ヘンプの名で繊維、紙、燃料、化粧品、食物などになる物として注目を浴び、ECパートナー諸国に追いつくよう、イギリスでも大麻の産業栽培の禁止令を1993年に解いて規制緩和をしていることがある。またそのような産業目的の交配とは別に、1930年代からの大麻に対する不当な法律に異を唱え、医療もしくは一般的消費に使うために交配したものを認めてもらおうとする活動が起こっている。あまり知られていないことだが、1971年には当初、社会問題として論議されていた大麻による耐性上昇、別の薬物乱用への足がかりになる、犯罪の原因になる、奇形発生、自発性減退などをもたらすという有害説は、WHO(世界保健機構)によって否定されている。

大麻使用は紀元前1500年、小アジアのスキタイ人によってヨーロッパとアジアにもたらされ、原産は中央アジアとなっている。イギリスでの大麻栽培開始は紀元後400年で、15世紀の西欧各国による海洋征服のために、大量の大麻を帆布やロープに使用する必要があったが、17世紀になっても風土が生産に適さないイギリス国内では、輸入に頼っていた。このような大麻供給の脆さを自覚したイギリスは、他国に脅かされない独立国家を維持するため、ついに西方に向かって新世界(アメリカ)の大麻を、その国もろとも略奪するに至ったのである。

植民地政府は、1607年バージニアから入植者に強制的に大麻栽培をさせ始め、長年さまざまな角度からそれを奨励した。母国イギリスは自国の経済と労働力を育てるために入植者の大麻繊維を輸出させ、さらに完成された商品を付加価値を付けた値段で買い戻すことを求めさえした。しかし1718年からアイルランドのプロの紡績工と職工がマサチューセッツに到着し始め、その波は1745年にピークに達した。そしてイギリス政府との独立戦争の頃になると、英国製の布地をボイコットできるほど自給自足が進んだ。

また大麻の雌の樹脂から取れる強いハシーシュは、1800年頃、ナポレオン軍の遠征中に研究が始められ、嗜好品として、引き上げてきた軍の兵士から全ヨーロッパに広まった。 オランダでは1976年に大麻の非犯罪が実施され、個人使用で30グラムまでの所持が認められる)1985年には30グラム以下なら売買も出来るようになり、現在最初に育苗を始めたSensi Seed Bankなどが、多くの通信販売、1000件以上のコーヒーハウスと呼ばれる喫茶店で、大麻の販売をしている。オランダには大麻博物館もあり、合法のソフト・ドラッグ(大麻)とハード・ドラッグ(コカイン、ヘロインなど)の区別がはっきりある。余談ではあるがコカ・コーラが、コカイン使用をカフェインに変えたのは1903年になってからであった。 ロンドンでも1998年4月、大麻解禁を掲げた1万人デモ行進が行われた。

さて大麻に次いでイギリスで主に若者によく飲まれているアンフェタミン系薬物に関しても現代を考える上で参考になろう。例えば、もともと1913年にドイツの製薬会社によって出された食欲抑制剤のMDMA、通称Ecstasyである。1998年秋のThe Economistの記事には、"E for England"というタイトルが使われたほどの定着ぶりで、既に1985年に大変な人気となった。1900年になるまでには、後にレイヴ・カルチャーと呼ばれる、ドラッグをやりながら踊るパーティ・カルチャーが、いかなる階層、人種の差別なく、主に20代から30代の若者たちによって楽しまれるようになる。LSDなどに対してのこれらBランク・ドラッグ(他にイギリス国内で2番目によく飲まれているスピードなどは、比較的安価(通常£7〜£20)で手に入りやすい)は、アルコールとは違い、飲んでも意識をコントロールすることができ、レイヴ・コミュニティとつながっているような、自分が安定してオープンな気持ちになれる感覚が得られるなどのため、若者たちに多く浸透していった。

だがレイヴの中でのみ許されている社会的承認(クラブだけがその販売独占市場として合法)の下、ドラッグへの依存は、自分自身の生活スタイルをそれなしで楽しむ気持ちになれなくしてしまうのも、他の副作用と共にある歴然とした事実だ。これについては倫理を押し付ける表面的な指導ではなく、偏見のない目でその長所と短所とを明確に知らせる必要がある。そしてそれは決してイギリスに限った問題ではない。

最後に私見を述べさせて頂けるなら、今後21世紀に向けて情報と品物がよりた易く行き交う世界になればなるほど文化の雑種化は進み、色々な「闇」の嗜好品の変種を生み続けるはずである。振り返ればカフェイン、アルコール、タバコなどの嗜好品も人々に認知される前は、怪しげなものとされていたのだ。現代の嗜好品は、そのまま薬物として、また他の嗜好品などと合わせるような形で今まで以上の刺激を得たい人々の需要が高まりつつある。昔から、植物が主にその原料となる薬物の改良や発見は今後も進むはずであり、それを止めることも出来ないのが今の状況であろう。しかし、ただそれらに頼って擬似的な一体感あるいはその逆に個人に閉じ込もる鎮静、陶酔を求めるだけではなく、それらに依らない人間の精神と身体そのものの持つ可能性を引き出す能動的な方法が、もう一方にあって取捨選択すればいいのではないかと感じる。

参考文献

『コンプトン 英国史・英文学史』(加藤憲市、加藤 治訳)大修館書店 南 直人『ヨーロッパの舌はどう変わったか』講談社選書メチエ 松浦京子「ティー・ブレイクでほっと一息」、『生活文化のイギリス史』同文舘出版 アントワーヌ・ポロー『麻薬と嗜好品の中毒』(小林龍男訳)白水社文庫クセジュ 謝 世輝『世界史の変革』吉川弘文館 田中正俊「中国の解体とアヘン戦争」、『岩波講座 世界歴史』21巻、岩波書店 角山 栄『茶の世界史』中央公論社 シドニー・W・ミンツ『甘さと権力』(川北 稔・和田光弘訳)平凡社 ローワン・ロビンソン『マリファナ・ブック』(麦谷尊雄、望月永留訳)オークラ出版 『The Body Shop News 1998年12月号』ザ・ボディショップ・コミュニケーション部 マーティン・ブース『阿片』(田中昌太郎訳)中央公論社 堀田 満『世界有用植物辞典』平凡社 Sensi Seed Bank、英語版パンフレット "Drug & Us" Gay Times 1996年9月号 "Rave, Culture Drugs and Health" : internet site address: //www.qmw.ac.uk/~english/cbl/project/nrjv/ta4208.web-site.html "


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