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お祈り中の相棒の頭に落ちてきた菩提樹の葉
インド・ブッダガヤにて (1998.11.01)


私は長距離バスが好きだ。

バスの振動に揺られ、隙間風に吹かれながら眠るのが、昼夜問わず好きだ。
どこででも眠れる太い神経は、背筋、脚力、食欲と消化力などとともに、
私の旅を支えるたのもしい身体条件のひとつである。

眠るのは簡単だ。前夜夜更かしをし、当日腹一杯食べればよい。
もっとも、私の場合たいていはそうする必要もない。

バスに揺られながら眠るのは、実はバスの上で目覚めるためである。
心地よい眠りのうちにも、バスは異なる風景へと移動している。
目覚めた時、私を待ち受けるのは見知らぬ風景だ。
先入観のない起き抜けの眼に、ためらいなく飛び込んでくる風景たち。
私の五感が、それらに向かってゆっくりと、あるいは急速に開かれてゆく…


あるとき私は黄土高原を窓の閉まらないボロバスで走っていて、
真後ろの回族の青年の銅鑼声にたたき起こされた。
薄い目の色の青年は、彼らの土地を旅する若い異郷人の即興歌を、
私にはわからない方言で歌った。
刈ったばかりの羊の毛を担いだ男たちが和した。
漢族の男が歌の大意を私に伝え、
この大意では全く味わいがわからないと自分で悔しがった。

そのときの風景は、地平線までひろがる黄色い侵食高原だった。
乾ききった大地は圧倒的な力で私の目の前をさえぎり、横切り、後ろへと去り、
しかし決して途切れることなく流れ続け、
それは哀調を帯びて虚空に消えてゆく即興歌の調べとあいまって、
私を涙ぐませさえした。
地平線は黄土でかすみ、天空との境界線があいまいだった。
私はカメラもビデオも取り出さなかった。


そんな風景をわたしはいくつも持っている。


また別のときには、トラックの幌の隙間から
うっそうとした原生林を覗き見していた。
幌をあげると小雨とも湿り気ともつかないひんやりした空気が吹き込んできて、
ほかの乗客の無言の非難を受けるのだった。

狭いピックアップトラックの荷台に十数名がきゅうきゅうにつめこまれ、
薄暗く空気の悪い幌の中で穴ぼこだらけのつづら折りの山道に揺られていると、
どうしようもなく気が滅入った。
私はそのとき連れていたシマリスを手の中でもて遊びながら、
仕方なく覗き見とうつらうつらを繰り返していた。
ラオス北部でのことだった。

冷気が私を覚醒させた。
何時の間にか山を越えて、盆地に入っていた。
乗客たちの多くはここで降りるらしく、
幌を大きくあげて降りる準備をしていた。
視線を遮る森は後方に去り、トンネルを抜けたように大きく視界が広がっていて、
緑したたる水田に民家が点在するのが見えた。
民家の屋根は片方が垂直、もう片方だけが傾斜している珍しいもので、
水田からその屋根がだけがのぞいている様子は、
大海原にいくつものヨットが浮かぶ風景そっくりだった。

四方を山に囲まれた内陸の国で、私は突然潮騒の幻聴を聞いた。
このときも私はカメラのことを忘れていた。


またあるとき、
私は長い間、本当に長い間憧れていた
パキスタン北部を目指して夜行バスに乗っていた。
夜は完全な闇で、寝つきのよい私をすんなりと眠りに導いた。
夜明けとともに目覚めた私の目に忽然と飛び込んで来たのは、
ドラマティックなヒンドゥークシュの山々である。
荒涼たる交響曲が高らかに鳴り響いたようだった。

やがて、周囲の暗い鈍色の山々から、純白の山頂だけをちらりとのぞかせて、
右手にナガールパルパットが現れた。
天使がその小さな右手をピアノの高音部で遊ばせたような、
せつない無垢の一瞬の煌きが私の眼を射た。

バスは樹木一本ない山々に挟まれたインダスの渓谷をぬって突っ走り、
やがて朝焼けを受けた朱鷺色の8,000メートル峰は
後ろへ、後ろへと遠ざかって行った。
この時の私は、すでにカメラを持っていなかった。


世界にはまだまだたくさんの風景があって、
それらはみな私に目撃されるのを待っているのだ。

世界のあちこちで、彼らはひっそりと待ち続けているのだ。


すべてのページを、私を生み育ててくれた両親へ捧ぐ。